砂の器 / 松本清張
あらすじ
5月のある早朝、蒲田駅の操車場で扼殺された上、顔を潰された男性の遺体が発見された。
生前の目撃情報で男性は犯人らしき男と東北弁らしい言葉で話していたこと、またその会話の中で「カメダ」という単語が出ていたことがわかる。
刑事の今西は調査のため秋田県へ出張するが、不審な男の目撃情報はあったものの、事件の糸口は掴めず、捜査本部は解散してしまう。
一方で出張の帰りに駅で偶然、新進気鋭の若手の批評家や芸術家の集まり、「ヌーボー・グループ」とすれ違う。
事件とは全く接点がなさそうな「ヌーボー・グループ」の批評家 、関川と音楽家、和賀が後に事件に絡んでくる。
感想
松本清張の作品は初めて読みました。
有名な作品なのでずっと読みたかったのですが、失礼ながら長くて小難しそうに思えてずっと敬遠していました。
実際は難しい単語もなく、思ったより読みやすかったです。
主人公の刑事今西は捜査本部が一旦解散されても、事件を忘れることができずに結局自然と追い続けてしまいます。
頭の片隅に古びて茶色くなった紙のように事件のことが張り付いて剥がす事ができない。
それ故に常に情報を引っ掛けるアンテナを張り続け、一見事件とはあまり関係がなさそうな些細なことも見逃さず刑事の勘で追っていく。
苦闘しつつ、迷妄の中からも一筋の光のような糸口を手繰り寄せていき、執念で真相を追うそういう主人公の今西の姿は読み応えがありました。
殺害方法については、正直、現実に可能なのか良くわからないのですが、予想もつかない、ある意味奇想天外な方法であることが小説の醍醐味と言えるでしょう。
読んでいる途中で気づいたのですが、初版が昭和48年(1973年)で実に五十余年前の作品でした。
今西が主に新聞や雑誌から情報を得ていたり(現代ならスマホのニュース)、難しい単語はなくても「赤電話」、「国電」、「オート三輪」等馴染みのない言葉が度々出て来ます。
当時の街や人の様子、風俗を想像しながら読むのも面白いと思います。
まだ四十代?の今西が「老練刑事」と評されているのも、現代ならもっと年齢が上の人でなければ違和感のある言葉ではないかと思います。
(因みに自分は途中まで「オート三輪」を「オート二輪」とあほな勘違いして読んでおり、オートバイの事だと勝手に解釈していました。
引っ越しの荷物をオート三輪で運んだという場面で、バイクで運べる荷物ってどんな少ない量だろうと思ってようやく間違いに気づきました(^^;)
この作品ではハンセン病が扱われています。
しかし「業病(ごうびょう)」や「因果な病」という言い方はこの作品で初めて聞きました。
辞書によれば「業病」とは、「前世の悪業 (あくごう) の報いでかかるとされた、治りにくい病気。難病。」とのことです。
業病(ごうびょう)とは? 意味・読み方・使い方をわかりやすく解説 – goo国語辞書
当時の差別的な表現については、巻末に、作者に差別の意図はなかったこと、作品の文学性、芸術性、また作者がすでに故人であるためそのままの形で掲載したと書かれています。
ハンセン病患者が差別された理由についてWikipediaには以下のように書かれています。
「ハンセン病は外見上の特徴から、日本では伝統的な穢れ思想を背景に持つ有史以来の宗教観に基づく、神仏により断罪された、あるいは前世の罪業の因果を受けた者の罹る病と誤認・誤解されていた(「天刑病」とも呼ばれた)。」
しかし、現代の自分からすると、「業病(ごうびょう)」というのは正に差別のための言葉という感じがしました。
胃の中にひんやりと重いものが沈み込んでくるような、少し後味の悪さが残りました。
松本清張には差別の意図がなかったそうですが、そうだとするとあえてこういう言葉を使ったのは当時はそれが普通のことで違和感のないことだったからか、それとも差別に批判的な考えがあったからこそ、あえてその残酷さを伝えようとして使ったのか、そこはわかりません。
とはいえ、原文のまま掲載することはむしろ差別の歴史を知る上で必要なことでもあると思います。